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憲法9条とソクラテスの正義

『ソクラテス=われらが時代の人』(ポール・ジョンソン著/中山元・訳)より

「ソクラテスは『クリトン』(プラトンの著書)で「悪をなすことは正しいことではない。悪にもって悪で応じてはならない。悪をなされて自分を守るために、お返しに悪をなしてはならない」と語っている。ソクラテスはこの明確な見解によって、どのような装いや状況のもとでも、道徳的な相対主義を否定して、道徳的な絶対主義を明確に採用するのである。あなたはそれが悪いことであることを知っているならば、決してそれを行なってはならない、絶対に。
 この規則を定めることでソクラテスは、道徳の歴史における一つの分水嶺を超えたのであり、個人や国家が採用していたギリシアのもっとも根深い道徳律の一つ、すなわち報復の法則を絶対に否定するようになったのである。もちろん報復の法則はギリシアだけにかぎられたものではなかった。野蛮な状態や部族主義的な段階から抜けだして、文明化された状態に近づきつつあると感じていた大部分の社会において(すべてではないとしても)ごくありふれたものだった。 
 ヘブライの「出エジプト記」では、第二〇章で神がモーゼとイスラエルの人々に十戒を与えており、この戒めは多くの社会において(大部分ではないとしても)、時間の試練を乗り越えて、その有効性を明らかにしてきたと思われる。(中略)「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない」
 この「出エジプト記」が書かれた時期は明確ではないが、紀元前700年頃という説があり、これが正しいとすると、道徳の教師としてホメロスに次ぐ重要な人物であるギリシアの詩人ヘシオドスと同じ時代に書かれたことになる。ヘシオドスは「出エジプト記」よりもさらに厳しい。「敵が何かあなたに有害なことを言い始めたり、やり始めたりするならば、その倍の仕返しをしてやれ」これは、片目には片目の報復を定めたヘブライ人の掟(おきて)よりもさらに大きな報復を求めるものである。そのどちらも、報復が悪であるとは考えていないのである。
 ソクラテスはこうした報復主義のすべての理論と実践に正面から反対する。『クリトン』でソクラテスは自分の掟の5つの原則を定めている。わたしたちは絶対に不正をなしてはならない。だからわたしたちは不正に対して不正で応じてはならない。誰にも悪をなしてはならない。だから悪に対して悪で応じてはならない。人間に悪をなすことは、不正な行動をすることと同じである。
 この報復の拒否は、ギリシアの伝統的な道徳性と正義の理論を拒否するものであり、きわめて重要な性格をそなえていた。そして、ソクラテスはそのことを十分に認識していた。というのも、この5つの原則を宣言した直後に、「それがそうだと思う人も、また思うだろう人もごく少ないということを(わたしは)知っている」と語り、「そうだと思っている人々と、そうだと思っていない人々との間では、いっしょに相談はできない。むしろ相手の決めたことをみて互いに軽蔑し合うに相違ない」と語っているからである。(同書169〜171頁)

 ソクラテスが定式化した絶対的に基本的な道徳的な真理、すなわち、わたしに悪がなされたからといって、わたしが相手に同じ悪をなす権利があるわけではないということは、アリストテレスにはうけいれがたいものだった。実際にソクラテスは、報復や復讐など、それをどのような名前で呼ぼうとも、それは悪であり、絶対にうけいれたり、擁護したりしてはならないという道徳的な定理を認識し、完全にうけいれた唯一のギリシア人であった。この定理を明確に表現したのも、世界に抵抗しながらそれに固執したのも、ソクラテスが初めてだった。
 ソクラテスがこの新しい道徳的な法則、人間の法ではないこの神の法を発見し、初めて明確に表現してからというもの、政治家や将軍たち、そして専制政治や絶対王政だけでなく、民主主義の体制もまた、無数の事例において、この法則に違反してきた。また無数の男女の個人も、みずからの個人的な問題を解決するために、この法則に違反してきたのである。
 たとえば第二次世界大戦のことを考えてみよう。イギリスやアメリカ合衆国などの独善的な民主主義国家はこの戦争を、悪名高い敵を相手にした正義の戦争であると合理的に言い繕いながら、ときには(あるいはしばしばと言う人もいるだろう)報復の誘惑に屈したのである。そしてドイツと日本への空爆の正しさと、原爆を利用したことの正しさについて、その時点で(そしてその後の多くの時点において)、限りなく議論されてきたのである。このような議論が行なわれたという事実そのものが、ソクラテスの最初の道徳的な啓発によって、そしてその普遍的な帰結が明らかにされたことによって生じたのである。(同書178・179頁)              
                      
 以上、書籍からの引用を終るが、私の感想を述べさせてもらうならば、『ソクラテス=われらが時代の人』という書名よりは「われらの時代を超えた人」とつけるほうが正確ではないかと痛感している。
 たしかに地域的あるいは社会的な範囲内、あるいは国内に限っては、報復的行為は法律的に裁判で解決されるように進化したということができる。しかし、先祖返りというべきなのか、今でも家庭内での暴力的な報復もなくなったわけではない。もちろん世界的には今でも報復を繰り返し、さらに増幅しているイスラム国に連係した内戦も現実に継続されている。
 一方、国と国の間、つまり国際的に近隣諸国への敵視政策、報復を目的とする核兵器の準備など、正当な理由づけで当然のように実施されているのが現実である。ただ、自国の利害を目的として相手国を先に攻撃する行為だけは、国連機関や世論の介入によって防止されていると言うことはできよう。が、ソクラテスの正義に反する報復の正当化は今でも常識となっている。
 いわば国際関係の現状は、片手にナイフかピストルを隠し持ちながら、もう一方の手で握手を求めている姿に等しい。その点で日本国憲法第九条は、まさに報復の正義を超えた未来の正義、ソクラテスの希求してやまなかった最高の道徳に適っていることは間違いない。つまり現在の日本こそ世界中で最も進化した憲法を保持している国としての誇りと自信をもって武器に依存しない真の平和を主張するならば、それこそが最高の安全保障となることを信じてやまない。

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万年哲学者(Always Philosopher)

Author:万年哲学者(Always Philosopher)
 "万年哲学者" を自任する80代が半世紀かけて解明した"いのち" の真実を、若者たちに伝えるために発信するブログです。"真実" とは100年経っても価値を失わない発見や表現を意味しています。

 25年前の1991年には日本情報処理開発協会主催公募エッセイ「私たちのくらしと情報化」が最優秀賞を受賞したことがあります。(ブログ内で原文をリンク)情報を心の栄養とみて健全な知情意を育成するために必要な情報論を展開し、その後の急激な情報化の潮流に対して問題点を先取りした内容と自負しています。

 戦後70年にあたる2015年8月、ボランティアで続けてきたHP<戦争を語りつぐ証言集>(http://www.geocities.jo/shougen60/) が延べアクセス23万回となり毎日新聞でも紹介されました。戦争やテロほど生命を破壊する所業はありません。

 今後は "超人類" へ飛躍する未来をひらく「生命の哲学」に関連ある情報を提供したいと願っています。

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