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育児の秘訣<情緒の目覚めの季節>

 岡潔博士の教育論の独創性は、自らの人生経験の内省と二人の幼い孫の発育ぶりの観察 に裏打ちされた数学者らしい明晰さにみられます。子どもの内面的な生い立ちには、年齢に 応じて「情緒の目覚めの季節」があり、その季節に適した種を蒔かないと発育しないのは 植物の発芽・成長に等しいということです。
 以下、著書の中から幼児教育のあり方についての要点を紹介したいと思います。

  まず、道義 教育は数え年五つから始めるべきであると提言されています。人の人たるゆえんは、自他の区別がわかり他人 の感情がわかることにあるからです。その頃から、自分だけでなく人を喜ばせることができるように なるのです。一方、喜怒哀楽の感情を子どもの人権や自由と錯覚して放置すると、自分本位の衝 動的判断しかできない人間に育ってしまいます。ですから、人らしくない感情・我欲を恥ずかしいと感じ るしつけが欠かせないのです。人の悲しみがわかるのは小学三、四年生頃からで、人が悲しむような行為をにくむ気持ちが正義心の始まりとなります。とにかく小学生の頃までは、情緒ので きあがる時期であることを重視しなければなりません。
『親のしつけ』と題するエッセイで、岡潔博士は次のように述べています。

《この衝動的判断というのは、一つの行為です。この行為は、のちに述べますが、古人のよくいった修羅(人間以下の生物)の行為です。この行為それ自体が修羅の行為であって、人のすべきことではないのです。
 ところが、この衝動的判断は、四つになるとすでに出ます。
 そこで、著しく悪いものだけは、取らなければいけない。ことに、憎しみに基づく衝動的判断、これは絶対に取らなければいけません。
 それから四つの後半にもなれば、ねたみ──このねたむという行為は衝動的判断です。これはかなり普遍的で、そして悪質なものです》

《抑止するという働きが、大脳前頭葉の固有の働きです。この力が強くなればよい。力が強くなるということが大事なのです。
 それには、もっとも悪質なものを選んで、それを抑止することを躾ければよろしい。
 で、四つでは衝動的判断のうち、悪質なものを抑止することを躾けなければいけない。 生まれてからだいたい四つになるまでは母親の受け持ちですが、四つのころは、父母共同の受け持ち、そして五つから七つぐらいまでは、父の受け持ちです。
 はっきりこう仕分けなければいけないというのではありませんが、そうすることが望ましいと思うのです。
 とくに、三つまでの子に母が欠けているということは、その子にとってひじょうに不幸なことだと思います。
 できるだけそれを補うことを、くふうしなければいけないでしょう。
 四つの躾は申しましたが、五つはどうするか。
 五つになると自他の区別がわかります。自分をさきにし人をあとにする、というような衝動・感情・欲望、これらをみなおさえなければいけない。
 一口にいえばそうです。
 ぜひおさえなければならない衝動を抑止することは、すでに四つから始めていますが、五つからは、これを全体におよぼすのです。
 感情・欲望については、これらのうち人らしくないものは抑止します》

《幼い頃からの男女の違いも無視できません。女の子はお人形やままごと遊びに見られるよ うに、坐って空想あるいは情緒の世界に浸るのが好きです。それに比べて、男の子は乗 物のおもちゃや棒きれで運動に身を任せるのが好きで、それぞれの特性が歴然としています。
 数え年五、六才頃は文字を機械的に覚える時期であり、六つの頃から集団的に遊ぶよう になり社会性が芽生えます。とともに、知的興味が最初に出てくるので、その芽を摘み取ら ないことが大切です。努力して記憶できるようになるのは小学五年からで、その頃から 歴史・地理・理科などを教え始めればよいのです。但し、小学校で社会科を教えるのは無茶であると岡博士は主張しています。自己批判力ができる前に社会や歴史を批判することを教えるのは、他人がみな悪いと 思い込むような冷たい心に育つ恐れがあるからです》

《教育は何よりも人の子の心の底を温かく保つことに留意しなければならぬ。そうしない と、人の子は人もものも愛せなくなってしまうのである。人を愛せなければ人でないし、 学を愛せなければ学は教えられない。後々創造が起こるのは、そのものを愛するからであ る。歴史家も日本民族の歴史は日本民族を愛するが故に調べるというのでなければならぬ》(『昭和への遺書』より)


 岡博士の思想の核心は「情緒」を中心とする教育論にあります。但し、先生のいう「情緒」と いう言葉には独特の幅広い意味があり、心の中心的なはたらきを表しています。つまり、情 緒は知情意の各分野にわたる正常な発達を促すもとになるというのです。小学校三、四年までの 最も大事な教育のあり方として、『情操教育』の中から一節を次に引用しますと、

《情緒が人そのものだから、これを十分に清く、豊かに、深く育てなければいけない。し かし、今は、情緒中心に育てるということを忘れている。つまり、感情、本能を抑止する ことを教えないから、情緒がでてくるはずがないのです。(中略)
 欲情本能を抑えること、そして、情緒を大切に育てるということが大事です。特に、お 母さん方は、その情緒を清く豊かに教育することです。そうすれば情緒の現われとして出 てくる知情意は、全面にわたって間違いなく発育する。……》


 ところが現実の社会や家庭では、子どもの人権と自由、個性を大切にするという名のも とに、親は子どもの言うなりに育てた結果、好きなことは何をしてもいい、嫌いなことは我慢で きない自己中心の子どもになったのです。
 学校では教師の権威と指導力が弱められました。その結果、30年前に岡博士が憂慮していたような状況が現出しています。99 年2月に刊行され反響を呼んだ『学校崩壊』(河上亮一著)には、現場の教師の目で小中学校の危機的状況が報告されています。普通の生徒が自分のしたいことを抑えられ気分を害した場合、衝動的にいつ何をするかわからない状況に陥っているというのです。文部省の調査によれば、98 年度の小中高校における校内暴力は前年度より25・5%増の約 万件に達しています。(読売新聞99・8.14付)

《人の子をよく見ますと、四月生まれだとして、数え年でいいますが、三つまでは童心の時期であって、自分というものはありません。
 四つになると全身運動の主体としての自分が出て来ます。五つになると感情、意欲の主体としての自分が出て来ます。そうすると自他の区別がつくようになります。
 普通、人はこれらの自分を中核にしたものを、自分と思っているようです》『心といのち』より。

                                    
 しかし、それを本当の自分と錯覚してはならない、と岡博士は注意しています。何故なら、それは「生きようとする盲目的意志」であって、意識の発動による「自由意志」とは別種の本能だからです。したがって、この幼児期に出てくる自分(自我)を抑止するためのしつけが大切となるのです。
 続いて、『親のしつけ』と題するエッセイを、もう一度読んでみましょう。

《親たちは、なるたけ物質主義的考えをもたないように、また聞かせないように、そしてその反対のものは聞かせるように、そういう雰囲気をかもす注意をしなければいけないでしょう。
 五つでは、衝動はだいたい全面的に抑止できるでしょうが、感情・欲望の抑止は、じゅうぶんうまくはいきません。そこで、感情・欲望のうちの、とくにいけないもの、著しく人らしくないもので、その子になるほどとわかるようなものを選び、なるたけ納得させて、それを抑止させるように躾けるのがよろしい。要するに、こういったものを抑止する力が強くなれば、それでなんでもみな抑止するようになるのです。
 子どもがいけないと気づくためには、恥ずかしいと思う心(内心を照らす日の光)と、慈悲心(内心を照らす月の光)との二つを、できるだけ養わせるのがよろしい。
 これは、六つ、七つとだんだん余計にやってほしいのです。そうすれば、だんだん余計に、この恥ずかしいという心、つまり羞恥心も育てられます。また、慈悲心も育ちます》


 体は鍛練すればするほど強くなり丈夫になるように、強靱な精神力・忍耐力を育てるには心を鍛えることが大切です。心の鍛練とは、単に受験のために知識を詰め込んだり、偏差値の高低だけを指標とすることではないのです。
 健康体は消化・循環・排泄の機能が活発であるように、健全な精神を育てる教育とは、情報を鵜呑みにするのではなく、物事の価値を見分ける判断力やイメージを呼び起こす想像力を育てることを意味します。美と醜、真実と欺瞞を判別し、悪に対する抵抗力をつけるには、本当に美しい情緒にあふれた情報を十分に与えることです。体は腐敗した食品を口に入れた場合、下痢や腹痛の症状を起こして腐敗物を体外へ排泄しようとします。健康体の肝臓には有毒物を解毒する機能があるからです。
 しかし、心の食べものとしての情報が有毒か否かは自ら判断するほかありません。だからこそ、真善美の価値がわかる直観、すなわち清水のように純粋な意識ときれいな情緒が必要なのです。それは決して快・不快や利害打算の本能的自我ではなく、真善美のなかに心の悦びを感じる理性と感性を育むことにほかならないのです。
               
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万年哲学者(Always Philosopher)

Author:万年哲学者(Always Philosopher)
 "万年哲学者" を自任する80代が半世紀かけて解明した"いのち" の真実を、若者たちに伝えるために発信するブログです。"真実" とは100年経っても価値を失わない発見や表現を意味しています。

 25年前の1991年には日本情報処理開発協会主催公募エッセイ「私たちのくらしと情報化」が最優秀賞を受賞したことがあります。(ブログ内で原文をリンク)情報を心の栄養とみて健全な知情意を育成するために必要な情報論を展開し、その後の急激な情報化の潮流に対して問題点を先取りした内容と自負しています。

 戦後70年にあたる2015年8月、ボランティアで続けてきたHP<戦争を語りつぐ証言集>(http://www.geocities.jo/shougen60/) が延べアクセス23万回となり毎日新聞でも紹介されました。戦争やテロほど生命を破壊する所業はありません。

 今後は "超人類" へ飛躍する未来をひらく「生命の哲学」に関連ある情報を提供したいと願っています。

 メール=shougen11910@yahoo.co.jp

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