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受賞エッセイ「私たちのくらしと情報化」

 ちょうど25年前の1991年10月、「情報化月間」20周年記念論文公募に最優秀賞の連絡があった日、それは私(当時58歳)の書いた文章が初めて社会的に認知された日であった。
 受賞記念式典は東京の全日空ホテルで行なわれるので出席されたいとの招待も受けた。わずか400字詰原稿用紙13枚(5000字)ほどの短いエッセイに対して、最優秀賞の賞金は50万円(源泉徴収分を含む)であった。

 ちょうど下水道の水洗化工事のため同額の出費を控えていたので、これ幸いと源泉徴収を差し引いた45万円の殆どを下水工事の費用に当てた。
 せっかくの賞金を下水工事費に流してしまうのは惜しいのではないかと言われるかも知れないが、私はそうは思わなかった。それこそトイレに「流す」ことが暮らしに一番大事なのだから、そこへ支払うのが最適ではないかと言いたい。その点、原発がトイレのない高級マンションと言われるのは、理に適っていないことは歴然としている。

受賞の記=情報化月間20周年記念式典(1991.10.2)に出席して= 

 港区赤坂1丁目といえば中央官庁群に隣接した東京の中心部。ところが意外に不便なのだ。一番近い地下鉄の駅から雨の中を歩いて10分ほどで全日空ホテルに着いた。さすがに立派な内装の高層ビルだった。 
 最初に記念撮影があるというので受付を探した。じつは上京する前日、部屋の見取り図から着席の位置まで指定した書類が通産省から郵送されてきた。念が入っている代わりに遅いのがお役所仕事の相も変わらぬ特徴であることを思い知らされた。
 受付で大きな赤い花の記章を胸につけられて控室で待つこと20分、撮影室に誘導されると、前列の椅子に来賓・関係者がずらりと坐っている。書類に記入してあった中尾通産大臣、小渕恵三議員だけは新聞の写真で見覚えがある。とにかく記念写真は1ヵ月後に送呈してくれるという。
 次は記念式典会場へ入場する番である。ここでも指定された位置に着席。ヒナ壇に並んだ来賓からの祝辞が延々と続く。桜内衆院議長、稲葉秀三氏、各省庁の政務次官が紹介される。何しろ「情報化月間」というのは8つの省庁が合同で推進している政策であるらしい。配布された資料で初めて理解できたのだが、要するに「情報化」とは、コンピューターのハード・ソフトを含めた普及促進ということであり、それが私たちの暮らしにどう影響するかという問題である。ところが、こんど受賞した私の文章は、むしろそうしたコンピューター情報の批判を含んでいるのだから面白い。もちろん「情報」という言葉には、テレビ・ビデオをはじめ、あらゆる通信・映像・新聞雑誌を含む広い意味があるのだが、そうしたマス・メディアの発展を支えているのは、やはりコンピューターに他ならない。
 というわけで、情報化の促進に貢献した個人および企業の表彰が毎年政府によって行なわれてきたのだが、その20周年に当たる今年(2001年)、記念の作文・論文コンテストが行なわれたのであった。従って、コンピューター関係企業の会社名が次々に読み上げられ、そのたびに代表者が演壇の前に整列し、順番に中央に進み出て賞状を授与されるという次第。最後に私が呼ばれるまでに1時間はたっぷり経っていた。ここでもお役所の形式主義、事大主義を痛感させられた。
 4時過ぎにようやく式典が終わり、その後300名を超えるパーティが始まった。私が知る限り最も豪勢なサービスの行き届いた立食パーティではあった。空のグラスを手にして立っていると、別のグラスに交換してくれるし、手の込んだ料理の皿を勧めてくれる。しかし、独りで出席した私には話し相手もなく、第一隣にいる人が誰かも分からない。早い目におさらばしようと思っていたとき、何度も電話で連絡してくれた日本情報処理開発協会(政府の外郭団体)の戸田さんを見つけてこちらから話しかけた。ヒゲを生やした小柄な優しそうな人である。
「なかなか豪勢なパーティですね」
「いや、20周年ということで今年は特別ですよ」
「私どもの論文の審査はいったい誰がされたのですか?」
「元東大教授の著名な石井威望先生に審査してもらったのです。296篇の応募作品があって、トップになったのだから自慢してもいいのですよ。取材はありませんでしたか?」
「何もありませんよ。第一、誰が誰だか分からないでしょう。それより文章を出来るだけ多くの方に読んで頂けると有難いのですが……」
「それはこれから関連企業や団体へ向けてPR誌や機関紙等に掲載するようはたらきかけます」
「いろいろお世話になりました。ご縁がありましたら今後ともよろしくお願いします」
 挨拶を済ませて心残りなくクロックで鞄を受け取って、ホテルを出た私は、雨の中を渋谷に向かった。左手を動かすごとに何度も落ちそうになった胸の赤いバラの記章を返したとたん、ようやく元通りの自分に戻ってホッとした気分だった。

日本情報処理開発協会主催公募論文・最優秀賞受賞
 私たちのくらしと情報化">=情報は ”心の栄養素”

 上記のエッセイを執筆した年代は、ちょうど湾岸戦争の真っ最中であった。前年の1990年にイラクのフセイン大統領が石油利権と経済再建のためにクウェートに侵攻し、それを阻止するためアメリカを中心とする多国籍軍が空爆や地上戦でイラクを制圧した。難民少女の証言や油だらけになった水鳥の映像が世界中に拡散されたが、それらの映像はすべてイラクの悪者ぶりをPRするための米国側のヤラセであったことが後になって明らかにされた。
 米ソ冷戦の終結とともに倒産の危機になったアメリカの軍産複合体の策略など当時の自分としては知る由もなく、フセイン大統領の誤った情報処理のために塗炭の苦難に追い込まれたイラク国民と大東亜戦争の敗戦がダブって見えたのであった。
 湾岸戦争を発端として、2001年の9・11同時多発テロからアフガン戦争へ、さらには大量破壊兵器の隠匿という口実で2003年3月からイラク戦争へ拡大、ついにフセインは逮捕される悲劇の結末を迎えた。今また中東イスラム圏は更なる混乱と内戦の最中にある。もしその裏に対立と混乱を策謀して巨大な利益を上げる陰の勢力があるとすれば、これほど罪深いダマし打ちはないだろう。
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万年哲学者(Always Philosopher)

Author:万年哲学者(Always Philosopher)
 "万年哲学者" を自任する80代が半世紀かけて解明した"いのち" の真実を、若者たちに伝えるために発信するブログです。"真実" とは100年経っても価値を失わない発見や表現を意味しています。

 25年前の1991年には日本情報処理開発協会主催公募エッセイ「私たちのくらしと情報化」が最優秀賞を受賞したことがあります。(ブログ内で原文をリンク)情報を心の栄養とみて健全な知情意を育成するために必要な情報論を展開し、その後の急激な情報化の潮流に対して問題点を先取りした内容と自負しています。

 戦後70年にあたる2015年8月、ボランティアで続けてきたHP<戦争を語りつぐ証言集>(http://www.geocities.jo/shougen60/) が延べアクセス23万回となり毎日新聞でも紹介されました。戦争やテロほど生命を破壊する所業はありません。

 今後は "超人類" へ飛躍する未来をひらく「生命の哲学」に関連ある情報を提供したいと願っています。

 メール=shougen11910@yahoo.co.jp

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